プラス自動車保険

自動車保険の歴史

歴史

保険という制度は、まじめな日本人にはとても適した制度なんですよね。ですから、外国の保険業界では、日本でも必ず成功すると確信したといわれています。それを聞いて、つい。なるほどね、と納得してしまうのは私だけでしょうか? 知れば知るほど不思議で複雑な「安心を購入する」というこの制度の仕組みや歴史をちょっと覗いてみましょう。


自動車保険の歴史

始まり海から

自動車保険は、損害保険の一つです。古代ギリシャの重要な貿易手段であった海路は様々なキケンが伴うものでした。嵐にあい大切な荷物を捨てなければいけないことや海賊に襲われて船乗りがケガをする事も多かったんです。そこで、船乗りや積荷、大切な船を守るため損害保険制度が作られました。日本でも保険の制度が利用されるようになったのは武田信玄や上杉謙信の生きていた16世紀頃の朱印船で、やはり船のために作られたものでした。

自動車保険の普及

大正時代になると、日本でも車がだんだんと普及し始めました。車を持っていたのは、裕福な一部の人たちや外国人で、全国に普及している台数は1000台以下でした。それでも自動車保険はほとんど同時に普及し、十分な需要があったといわれています。1000台以下でも十分な需要ということは、車を持っている人はほぼ全員が保険に加入していたと考えられますよね。また、江戸時代末期頃には海外からの貿易用に海外のいくつかの会社が日本に参入していました。日本の保険会社が設立されたのは明治時代に入ってからなんです。

自賠責の強制

自動車が普及するに従い、事故の割合も増えてしまいます。用心深い日本人の性格から、任意加入の保険制度でも多くの人が加入していました。しかし、急激な発展を遂げる日本の安全対策として、昭和30年に現在の自賠責保険の元となる自賠責損害保険法が作られました。さらに、交付された翌年の昭和31年には現在と同じように自賠責への強制加入が義務付けられました。ですから、任意保険の方が先にできていたものなんですよね。

自動車保険会社ってこんなところ

営利団体

損害に対する支払に対し、自分では払いきれない分を補ってくれる契約を扱っているのが保険会社です。会社として成り立っている営利目的の団体ですから、アクシデントが起きた場合には支払金額を少しでも減らしたいんです。そのため、裁判で認定される金額より調査機関や会社の担当員が査定を行い算出した金額が低くなるのが一般的ですが、だからといって個人で交渉すると受け取れる金額をスムーズに受け取れなくなるケースも多いんです。保険会社は営利団体であるということを覚えておきましょう。

日本にどのくらい?

現在日本には、国内保険会社と外国損害保険会社があり、あわせても50社前後が営業しています。そのなかで、日本の法律によって定められた「保険業法」によって正式に免許を取得しているのが国内会社です。外国資本が過半数を超えていても免許があれば国内損保として営業することができ、外資系国内損保と呼ばれています。反対に、海外の法律に基づいて日本以外の国で営業を行っている保険会社が、日本での営業許可を受け代理店を設置しているのが外国保険会社です。

共済との違い

簡単に言うと、利益を追求しているのが損保の自動車保険会社で、営利目的ではないものが共済です。営利目的ではないため、保険料はかなり安い金額に設定されていることが多いのですが、査定や審査・契約の仕方には特に大きな差があるとはいえません。損保タイプの場合には、特定の車屋さんや板金屋さんなどと契約している事も多いので、買い替えや修理の時に便利な場合もあります。損保タイプの場合、24時間サポートやコールセンターなどのサービス体制が充実しているので、安心したい人や任せたいタイプの人にはお勧めです。また、共済に加入する場合には、営業店舗が多い所を選ぶと便利ですね。